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この記事では、 HUBLOT・イブサンローラン、タグホイヤー日本法人元代表取締役高倉豊氏さんから頂いたメッセージをご確認いただけます。
高倉豊 氏
- ウブロジャパン株式会社 元代表取締役
- イヴ・サンローラン パルファン株式会社 元代表取締役社長
- パルファム ジバンシーK.K元代表取締役
- シスレー ジャパン株式会社元代表取締役
- タグホイヤージャパンK.K元代表取締役社長
詳細プロフィール
博報堂ご退職の後、外資系有名ブランドの日本法人社長を歴任。売れない商品をいかに売るか。
与えられた条件で売れるようにする、ミスターマーケティング。単なる営業代行ではなくランチェスター戦略に見られるオリジナル路線を強調。本気の経営者のみサポート。
え?と思う奇抜なアイディアを一緒にブレストして導き出すサポートをされる。
ご実績(一部抜粋)
ウブロ時代
- 5年間で、売上327.7%増
- 入社時に50店舗あった販売店を27店に縮小させ、1店舗あたりの売上をアップ。
- ターゲットを地方の社長に絞り込み、男性誌『UOMO』にタイアップ記事を連載。連載によって、有名人が愛用していることが認知され一気に憧れのブランドとして人気になる。今では、王貞治氏、みのもんた氏、出井伸之氏が愛用している。
シスレー時代
- 2年間で、売上55%増
- フランスの高級スキンケアブランド「シスレー」のターゲットを50代から30代に変更。『JJ』にてタイアップ連載を展開し、若い客を呼び込むことに成功。その結果『JJ』も高級スキンケアを売る力がある媒体と認知され、広告収入がアップ。
イブサンローラン・パルファン時代
- 3年間で、売上35%増
- 再購入率の高い基礎化粧品の販売に着手。販促の一環として、自分の肌の悩みをチェックできるパネルを売り場に設置。業界初の試みとして話題になり、その後大手メーカーも追随するようになる。
- メイク雑誌『美的』にサンプルを同梱。(美容雑誌では初の試みとして話題になる)
ー ジバンシー時代
- 名入れギフトとして、口紅を発売。「世界にただひとつの品」にすることで、男性の購買を見込む。結果は大成功。ホワイトデーに、男性が百貨店の化粧品売り場に行列をなしたことで話題になる。
- 赤ちゃん向け香水「プチサンボン」を、日本で発売させる。本国からは申し入れはなかったが香りが日本人向けだと確信し、日本での展開を決意。結果、1994年のNo1フレグランスに成長させ、その後「ライトフレグランス」ブームを巻き起こす。
略歴
1948年 兵庫生まれ 1970年 自由学園 男子最高学部 卒業
職歴 1970年4月―1987年4月:株式会社博報堂
1970年4月―1974年12月:(勤務地:東京)株式会社博報堂に入社。国際局に配属の後マーケティング、調査、営業部等に配属。
1975年1月―1975年8月:(勤務地:レバノン ベイルート)中東最大の広告代理店であるIntermarkets S.A.L.社のJapan Divisionのマネージャーとして出向。
1975年9月―1976年4月:(勤務地:イギリス ロンドン)ロンドンの広告代理店Wasy Campbell Ewald社にて博報堂駐在員として勤務。
1976年5月―1983年2月:(勤務地:ベルギー ブラッセル)博報堂駐在員として勤務。
1982年3月―1986年4月:(勤務地:ドイツ ハンブルグ)ドイツ最大の広告代理店であるLintas社にインターナショナル コーディネターとして出向。
1986年5月―1987年3月:(勤務地:東京)国際本部アカウントダイレクター
1987年5月―1988年5月:東京リサーチ コンサルタント株式会社 (マーケティングリサーチ) 専務取締役
1988年6月―1992年9月:パルファム ジバンシーK.K.代表取締役
1992年10月―1997年9月:イヴサンローラン パルファン株式会社 代表取締役社長
1997年10月―1999年5月:タグホイヤー ジャパンK.K.代表取締役社長
1999年6月―2000年6月:株式会社ユーティル (マーケティングリサーチ) 会長
2000年7月―2003年12月:シスレー ジャパン株式会社 代表取締役
2004年2月-2005年6月:エスティ ローダー株式会社 ダルファン事業部 ジェネラル マネージャー
2005年9月―2011年6月:ウブロ ジャパン株式会社 代表取締役
2011年7月―現在:フリーのビジネスコンサルタントとして活動
書籍
- 『口紅は男に売り込め』ダイヤモンド
- 『4つのブランドを立て直した八方塞がりを打破するマーケティング』角川書店
- 『結果を出す人はブリコラージュで考える』かんき出版
磯村から一言
売れない商品をいかに売るのか?市場調査もない、海外から日本でこの商品を売りなさい。
与えられた商品を予算なし・人員なしでいかに売るのか?数々の売れていないブランド品をヒットさせてこられたブランド再生人と呼ばれる巨匠。
イブサンローラン、ウブロ 、タグホイヤーなどの外資系企業の日本法人代表を勤められた高倉 豊さんとの経営者・起業家対談『BOSSの野望』での対談が非常に勉強になると思います。
売上をいかに立てるかが事業を大きく左右しますが、営業代行ではなくまさにいかに商品を売るのかについてのブランド戦略について高倉先生とお話ししています。
目から鱗。 是非ご覧くださいませ。
高倉先生からの一言
マーケティングには究極の質問があります。
例えば消費者から 「何故、私がこの商品を買わなければいけないのですか?」と聞かれたらメーカーは答えなければなりません。
これが究極の質問です。 答えはいくつもあります。
その答えを聞いて「それだったら結構です、他の商品を買います。」と言われれば商品は売れません。
「それだったら是非使ってみたい(=買いたい)」 と言っていただける答えを見つける必要があります。
私は20年間、世界向けに作られ、日本では売れない商品ばかりを売ってきました。
例えば ウブロも当時は知名度は無く、技術上の優位点も無く、平均上代は150万円でした。
そういう状況下でも「それだったら買いたい」と言っていただける答えを見つけなければ売れませんでした。
BtoCであれば 「それだったら是非買いたい」 BtoBであれば 「それだったら是非御社と仕事をしたい」 という 「それだったら」 を見つけて是非サクセスストーリーを作って下さい。